一気湯千の汗
2009年 03月 04日
湯かげんを 尋ぬるもなし 霞む月
お風呂の湯というのは、熱過ぎてもぬる過ぎても頂けない。
社会も同様で、働く必要もないほどの大枚をもてば無駄使い。
逆に働けど働けどの派遣では疎外感。
格差という勤労意欲を失った空洞社会は、産業の空洞化よりも怖い。
永田町の風呂屋の湯加減しだいで、出歯がめがはびこることを、霞関に昇る月はフォーカスしているはずであるが。
お風呂の湯というのは、熱過ぎてもぬる過ぎても頂けない。
社会も同様で、働く必要もないほどの大枚をもてば無駄使い。
逆に働けど働けどの派遣では疎外感。
格差という勤労意欲を失った空洞社会は、産業の空洞化よりも怖い。
永田町の風呂屋の湯加減しだいで、出歯がめがはびこることを、霞関に昇る月はフォーカスしているはずであるが。
by tohisuyah
| 2009-03-04 12:34
| 四季